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ハロー!東京コレクション

分析の方法を考えたりした
a 先に開かれた01〜02秋冬東京コレクションのショーはは前回の80には及ばぬ60程度だったが、一向に回復しない景気と海外商品の怒濤のような流入のなかで、よくもここまで頑張ったと言っていいのではあるまいか。折角ご招待を受けたのだから極力拝見しようと頑張ったのだが、コレクションも終わりころになると、首が変調を来して回らなくなってくる。ロンドン、ミラノ、パリと、200を超すショーを見続けるベテランライターの元気の良さには、まさに脱帽ものだね。ところで今回、次から次にショーを拝見しながら、個々の評価はさておき、これらを総括するどのような方法があるのかということを、あれこれ考えていた。
柄にもなく数学にたとえると、「最大公約数」がもっとも普通に行われている方法だろう。共通の要素を引き出していくトレンド分析が代表的なものだ。これはいやでも目に付いてくるし、分析としても有効だといっていい。しかし近年はそれが必ずしも簡単にはいかないほどデザインは多様化しており、また、ただ括っただけでは、さしたる意味もないということになりかねない。その共通課題に対する個々の取り上げ方の差異の方がむしろ重要になっているともいえる
b 数学をたとえにするなら、次に「最小公倍数」というのが出てくるのかな。デザインでそれが何かよく判らないが、それぞれに異なってはいても、ある一定のグループとして括ることができるというやり方だろう。たとえば「アントワープ」とは何かとか、「大阪的」といったものを見極めるといった観察分析だね。先日ファッションライターの藤岡篤子さんが日本ファッション教育振興協会のセミナで、現在世界的にファッション表現が精彩を欠いているのは、「マニエリズム」の段階にあるからではないかと発言していたのが面白かった。これは、クラシズムがマニエリズムに展開し、それがバロックに転化して再びクラシズムに回帰するという、美術史分析の一つの議論なのだが、このようなマニエリズムといった規定は、公倍数的な分析といえるのではないか。 
先日本間君とこんな話をしていたら彼は、そういえば「素数」というのもありましたねというんだ。他のものに包括、還元できない個性ということになるんだろう。何かといえば他と括って考えられてしまう分析に対する、デザイナー側の不満がほの見えて面白かったね。とにかくデザイナー諸君は、1回のショーに店を1店開けるほどの金をかけてアピールしてくる。受け止める方もそれにふさわしい評価分析の努力が必要だろう。
滝沢直己(cfdホームページより引用) 中野裕通(同左) 三原康裕(同左)

本間遊(同上) 柳田剛(同上) ベージュ
   詳細は次をクリックしてください。 http://www.cfd.or.jp/index2.html
   コンピュータが支える叙情

a ところで今期コレクションの最大の収穫は、滝沢直己のイッセイ・ミヤケだろう。そのシーンを私は日本繊維新聞で次のように書いた。「豊穣な森の秋。奥から不思議な光が射し込み、大樹の肌はほのかに染まり、荒れ地には花が咲き、昆虫の肌の光が浸透している。やがて襲い来る冬将軍はしたたかな試練を強いるだろうが、冬来たりなば春遠からじ。春は来る。きっと来る…」あるいは節くれ、あるいは艶やかな布たちは、確かに深い森の叙情を語っていた。
 前期の滝沢のデザインには世界的にも高い評価が集まり、このブランドにとって史上最高の売上げを記録したという。今期については欧米のバイヤーから、不況の襲来で思うような買い付けはできないかも知れないからよろしくという挨拶が、あらかじめあったというのだが、ふたを開けてみたら、前期をさらに上回る売上げになったという。一方で三宅一生は、パリ、ニューヨーク、東京で成功をおさめたa−poc展が、今回ベルリンで喝采に包まれたという。未だかってない新しいデザイン領域に挑戦する一生と、コレクションラインを見事に成功させている滝沢と、ブランドビジネスのこれだけ見事な新展開は、史上ほとんどその例を見ないのではないだろうか。

b 同感だね。ところでここでもう一つ認識しておきたいことは、この滝沢のコレクションの多分にクラフトワークを思わせる叙情性が、実はコンピュータによって全面的に支援されていたという事実だ。たとえばドレスの全面を覆う大小の括り縫いは、勿論手仕事でなければできないものなんだが、あらかじめ行われる布の裁断は、そのような手仕事が必要とする分量を計算したコンピュータによって行われている。人の手とコンピュータの見事な共同作業なのだね。もしコンピュータの助けがなかったらこの種の仕事は、永い時間を要する高価なクラフト作品になってしまっていただろう。
三宅一生事務所はこの春から富ヶ谷のビルに移転し、これによってたとえばショーもそのビル内で行うことができるようになったのだが、それより何より注目しなければならないことは、この移転を契機に、マネージメントからデザインワークに至るまでをカバーするコンピュータシステムが確立されたということだ。これによってこれまでのデザイン資料も組織的に整えられ、社内のコミュニケーションでも電子メールが大きな役割を果たすようになった。今回のコレクションも、そのような新体制の成果の一つだったわけだ。
a コンピュータといえば、稲葉みちよだとか松居エリなどといった女性デザイナーにの間に、意外にハイテク志向が強いのは面白いことだね。特に先端的なハイサイエンスを毎シーズン取り上げる松居のような存在は、世界のなかでもまったく特異なのではあるまいか。今回も高度のコンピュータグラフィックを駆使して、人体の問題にハイライトを当てていた。然しその結論がハイパークーチュールの提案ということになると、ちょっと首を傾げてしまうがね。ハイサイエンスをファッションのなかに活かしていくという課題は、まさに21世紀的なものなんだが…。
ところで話は飛ぶが、若手によるニュークリエーター合同展で竹口・角田のアース・オブ・マザーが、水玉シリーズ展開のなかで、ちょっと面白いことをやっていた。ユニクロのフリースを裁断したテープで編んだニットなんだがね。そういう裁断テープは中国でいくらでも入手できるという話だった。シンプルデザインを色柄揃えて大量供給するというユニクロのビジネスは、コンピュータによるストックコントロールが生命で、その読み違いがたまさかこのようなテープを生み出しているということになる。ユニクロの展開は、コンピュータとその解析に企業の命運をかけるという、何か息詰まるスリリングなビジネスなんだね。
コンピュータとハンドの共同作業(滝沢) 松居のコンピュータグラフィック ユニクロテープのニット
改めて色が気になった
b 今度のコレクションでは、今さらのように色が気になった。宇治正人のようなハレのプレタは、通常、赤、ピンク、クリームなどの幸せ色が相場と決まっていたのに、今度のコレクションには寂びた色が浸透していたのに、改めて気付いたのだね。そういえば芦田淳もダークトーンが主調になっていた。世界の一流品の浸透をまともに受けているこれらのプレタでは、従来にない個性的なデザインが必要になってきているからなのだろうか。
そんなことを考えているうちに、中野裕通のブルーが改めて気になった。彼のデザイン意図ではユニオンジャックのブルーなのだが、私には世相を反映する「ブルー」な気分に浸透されているように思えてきたんた。そういえば今回の彼のショーには、彼の得意とする軽いユーモアは影を潜めていた。ブルーのスーツといえば制服のシンボルのようなもので、いわば定番中の定番なんだが、実はこの色はその奥に独特のニュアンスを秘めているように思えてきた。黒が主流になる日本で、改めてブルーを追求してみるのも面白いんじゃないか。
黒に色々面白い表現が出てくるのはモード・ジャポネーズなればこそ。山本里美はいわば父譲りの黒だが、そこにぽっかり赤い花が咲いた。ハイティーンの素人モデルを起用するという現代ヤングとの交流を通じて、里美は耀司から巣立っていくのだろうか。本間遊は黒を機軸に据えながらも、オリーブ、ベージュなど豊かな色彩へ向かってテークオフし始めているように見えた。
然し今回最も注目されたのは、靴デザインから参入してきた三原康裕の黒だった。それはいわばスペインの黒と言うべきもので、その底に時代の閉塞感が淀んでいた。スペインは16世紀の世界制覇とゴールドラッシュの狂乱の後の挫折感を、今なお持ち続けているのではないかということを、中沢新一が教えてくれているように思う。そのような挫折の黒は、今の不況日本によく似合うんだね。彼の作風に業界の共感が集まったのは当然だった。フランスから乗り込んできたハートアタック2人組は、素材でもデザインでも特にこれはということはやっていないのに、セクシーでアナーキーな雰囲気に訴えるものがあったのは、やはりヨーロッパならではなかろうか。
a そういう時代の閉塞感には、工芸ポバティズム(貧乏の味)というべきものや、古着感覚がよく似合う。たとえば新入の伊藤弘子は、大正調古着感覚をアバンギャルドにまとめていた。産道に似た装置からモデルが這い出して登場するという趣向は、ギネス物だった。平子礼子はセクシーなアバンギャルドとややスィートなトーンとの二本立て。井田昭子はマッチ売りの少女の叙情。津森千里は19世紀ビクトリアンの没落貴族のようなセクシーなポバティズム。前回「不思議の国のアリス」をテーマにした水原雅代は、今回「ブレーメンの音楽隊」から中欧トラッドを導き出した。理論派の桑原直は、貧乏スタイルの要素分析から、古着と古着感覚の差異というチャーミングなセミナを披露した。
こういう流れのなかにあって柳田剛が、これまでの牧歌的叙情の側面を切って落とし、クーチュール的造型一本に絞ってみせたことは、彼なりの新挑戦だったのだろう。あえてコレクションを避けて活動している徳永俊一は、先にそのリリースのなかに、エレガンスは退屈なものではないと宣言していたが、現代をリードし得るエレガンスという命題は、したたかな挑戦なのかもしれない。今回柳田に毎日ファッション大賞新人賞が贈られたのは、そうした挑戦に業界が共鳴したことの現れだったといっていい。これとともに毎日大賞の栄冠が高橋旬の頭上に輝いたことも正解だった。思い切ってスケールアウトしたイミテーションジューエリーに輝くアラブゲリラのイメージは、雑貨時代到来を高らかに宣言して、今期東京コレクションの白眉だった。

楽しい珍品がいろいろ
b 色について一つ補足しておきたい。ベージュのことなんだけれど。色を企業の名にするというケースは、この他にはピンクハウスくらいしか思いつかないのだが、この度の新業態発足と共に、企業名から姿を消したのはちょっと惜しかった。かってその名の由来を彼女に尋ねたのだが、彼女が無印良品の仕事をしていたころに遡るという。パリのギャラリー・ラファイエットで無印のフェアが開かれた時、そのなかのきなりのシルクのインナーウェアをさして、アメリカのジャーナリストがベージュショップといったという。その表現が気に入って、彼女のブランドネームにまでなってしまった。名前がベージュショップでもベージュばかり扱わなくてもいいわけだけれど、このところ彼女は改めてベージュの良さにのめり込んでいるようだ。癒し系の色ではあるし、このところ大人のコーディネートにもこの色が増えてきているという。企業名からは姿を消しても、ベージュの企画は逆に本格化することになりそうだ。江戸時代のわが国に48茶8鼠がブームを呼んだことがあった。48種の茶を使い分けるのは洗練の極みといっていいわけだが、そのなかにはベージュも何種か入っていたろう。肌の色により、日差しの角度ににより、表情が変わってくる色だ。デザイナーが賭けるに値する色といっていいだろう。
こんな話を彼女のアトリエを訪ねて聞いてきたのだが、デザイナーの世界に入り込んでいくためにはショーだけでは不十分で、何とか都合をつけて展示会も見るべきだし、懇談もしてみたい。この点、メンズの細川伸はジョイックスの傘下に入って経営的には安定してきたが、このところショーをやっていないので、何としても展示会に行かざるを得ない。彼を除いて日本のメンズを語ることはできないのだからね。行けば勿論収穫は少なくない。他が余りやっていない面白い素材やそのこなし方に出会える。そのなかから多少ピックアップしてみよう。
   細川伸コレクション

@ピッグスエードプリント Aインタレストの効かし方 Bまだらカット Cサーモギャバ
まず@だが、これはピッグスェード、つまり豚革なんだね。プリントをほどこしてウールツィードのように見せかけている。Aクラシックなウールシャギージャケットの下に着けているのはウール+インタレスト。インタレストというのは極太で非常に軽いポリエステル糸。ヒートカットがシャープなアクセントになっている。軽量極太ポリエステルというのは、独特の表現力を持っていて面白いね。Bはまだらにカットしたネップシャギー。アンティクを思わせる新品で、まさに今だね。Cは蓄熱効果の高いポリエステルとウールを交織して二浴染めしたトレンチ。まったくのトラッドがハイテクで支えられている。古びて見える先端。いかにも今だ。
   本間遊コレクション
@泥染めシルク Aプリントフェルト B紙糸フェルト C手漉き紙風フェルト
a 本間君の分は私に解説させてよ。まず@はシルクの泥染。アンファンテリブルの原田君はニードルパンチを推進して一躍有名になったが、このところ奄美大島の泥染の推進に乗り出していることは後で紹介するが、この本間君の作品はその成果の一つ。落ち感もよくて、ゆったりした着心地になるという。Aはコットンフェルトに軽くポリエステルをコーティングした後、転写プリントを施したもの。これがフェルト?とアッと驚く。今度はフェルトに力が入った。Bは糸井テキスタイルが開発した熊笹紙糸で織ったものにフェルトを掛けた。Cはパーツごとに裁断したものを1枚1枚フェルトを掛けた上で造型した。手漉き和紙を着ているような味が実現している。ベーシックなロングトルソーで勝負していると思われ、それ故の支持もあった本間君だが、手堅く積み上げてきた業績の上に立って、豊かなデザインバラエティに乗り込んできた。綺麗な蕾が開いて、楽しい花が裂いた。
ところで毎期豊かな提案を繰り広げているコレクションだが、その提案は何もモデルがランウェイを歩く形式にこだわる必要はなく、もっと多様な形を持っていていいと思うのね。それはコレクションラインを滝沢君に委ねて、今までと同様、いやもっと生き生きと新しいデザインに挑戦しつつある一生にも示されているわけだ。また寛斎が早くから独自の在り方で、彼の信じるファッションを推進していることは誰でも知っている。彼はモスクワを皮切りにハノイ、ニューデリー、岐阜と、空から池までに広がる巨大な野外イベントを繰り広げてきたが、今度は山口県きらら博で、巨大ドームのなかに大型テントを張るという珍しい演劇的空間を描いてみせた。県下の小学生から募った作品をショーのアイデアに採用しているように、幅広い大衆のエネルギーを取り込んで作劇していくのが、彼の特徴の一つなんだね。
その他ラッド・ミュージシャンのように、ビデオ形式による表現を一貫して続けているのも評価に値する。朝月真次郎はこのところ大島早紀子のモダンダンスチーム、アール・カオスの衣装を一貫して担当し、それを彼のデザインワークの一つの中心に位置付けている。このアール・カオスは、女の身体の表現力に新次元をもたらしつつあって、世界のトップレベルにあると僕は信じているのだが、そのようなクリエーションワークに一貫して取り組むのも、東京ファッションにとって重要な仕事だと思うんだよね。既製服作りにのみ没頭し、トレンドに一喜一憂するという生き方では、東京の21世紀は無いと思うんだ。そういえばダン・ラ・ヴィの菅原リラも何か気になる存在だ。アパレルデザインのなかでプリントを取り上げたのではなく、プリントアート展開のためにアパレルという手段を使っている。こういう方法に大きなビジネスチャンスがあるかどうかはともかく、プリント図案が極端に疲弊している日本のなかで、このように一貫するコンセプトを提起する方法は示唆に富んでいると思うがどうだろう。 (Toppageへ)
防府市佐波小学校・戸坂香名子ちゃん・公募最優秀賞 寛斎による山口きらら博・元気伝説のラストシーンは香名子ちゃんのコンセプトによっている H.アール・カオスの朝月真次郎デザイン
ダン・ラ・ヴィー