stage 2
生命を染める
   草木染3題 @火消し半纏
   A大島泥染
           Bシオンテック

草木染3題 @火消し半纏 
桑田コレクション@ 桑田コレクションA
わが国の伝統草木染の筆頭に藍をあげることに異存のある人はいないだろう。その藍染の保存顕彰を推進する日本藍染文化協会は、平成13年5月、ラフォーレミュージアム六本木で第八回藍の祭典のテーマに火消刺子半纏・桑田コレクションを取り上げて大反響を呼び、あまりの好評に次の企画が難しくなってしまったと関係者が頭を抱えるほどだった
火事と喧嘩は江戸の華といわれるほど出火に悩まされた江戸に、享保3年(1718年)「いろは組町火消」の制度を作ったのは、大岡裁きを唱われた大岡越前守だった。当時の消火能力は低かったので、彼等の主な任務は、延焼を防ぐ破壊消防が主になったので、土木建築に精通する鳶職人が中心になり、いやが上にもいなせな気風とその風俗を盛り上げることになった。消防服の半纏は厚い木綿地を重ねて太い木綿糸で刺し子にしたもので、たっぷり水を含ませて消火に当たった。この裏を着て消火に当たり、終われば絢爛とした意匠を施した表を着て凱歌をあげる。そのデザインの藍は繰り返し染め重ねられ、そのにかわ成分は防火効果を高め、さらには殺菌にも有効だったのではあるまいか。消火の終わった火事場に纏を立て、芝居絵や江戸小紋の装いも勇ましく、木遣りや手拍子で鎮火を祝ったのだろう。まさに火事は江戸の華。このようにして火消半纏の草木染は街を守り、身を守ったのだった。藍は生命を染めていた。
今回の展示は、府中市の桑田コレクション所蔵だが、それを編集出版した京都書院の「火消刺子半纏」のなかに、彰義隊の若武者の英姿颯爽を描いたものがあった。明治の火消しのなかには、維新で乗り込んできた薩長に反感をもち、彰義隊に喝采する気風があったことを暗示して面白い。
いなせな長髪 背には彰義隊の心意気


草木染3題 A大島泥染
何にでも泥染@ 何にでも泥染A 貝の泥染 泥染の作業
渋谷の代官山よりの丘に立て籠もるアンファンテリブルの原田昌三は、「恐るべき子供たち」という名の示すように、ニードルパンチドル導入でひと暴れしてみせたが、今度は東京コレクションのさなかに開いた大島泥染展で注目を浴びた。奄美大島の泥染絹絣は江戸時代以来の薩摩、鹿児島県の名産で、独特の表情を作り出すその泥染は、世界でも珍しい独特のものではなかろうか。しかしこのところの呉服停滞のなかで、新生面を求める動きが出ていた。その産地振興対策に取り組んできた博報堂の香取位里の誘いによって原田は、3年前からこの課題に取り組んできた。
研究のなかで、この泥染で何でも染まることが判った。いや正確に言えば、染まるのではなく塗れるのである。織物を田圃に浸けると、水の中の鉄分がタンニン酸と結合して織物に付着するのである。繰り返すと増量効果が出る。どこまでやるかが伝統技術の秘法という。それは一種のコーティングであってダイイングごはいえない。その点、柿渋、墨染とも共通している。柿渋、墨は顔料と結合して布に付着するので、これも正確には染めではない。それなら何にでもコーティングできるのではないかというので試してみると、シルク、コットンは勿論、ポリエステルでもハイテク繊維も、いや、貝、木材、従ってあらゆるインテリア製品も「泥塗り」できることが判り、今回の泥塗りオンパレードのエキジビションになった。早速泥染ポリエステルでドレスを作ってみた本間遊によると、垂れが綺麗に出るとのことだった。効果は色だけではないようだ。
どこの田圃でもいいというわけにはいかない。特定の田圃の水の成分が問題なのである。田圃でこの泥染の作業をしている人たちが、例外なく健康であるということからすると、この泥分には健康増進の作用があるのかもしれない。それを追求し、泥染新製品を開発することが、次の課題になっている。奄美大島特有の水が新しい美学と健康をもたらす日は遠いことではないようだ。
山本耀司がまだ若く、素材を求めて全国を歩いた折、この大島を訪ねて土地の哲学者の「そもそも農工は一体」という話に感動したことがあったという。Stage3シルク編で紹介する東京農大長島助教授の研究も、新世紀の命運が農工一体の新展開にかかっていることを示唆している。          


        草木染3題 Bシオンテック
草木染染料600色 草木染ジーンズ 草木染アイピロー 草木染抱き人形
戦後の草木染の追求は、いうまでもなくまず何より伝統分野のたゆまぬ努力によって支えられていたわけだが、まもなく新しい潮流がうねってきた。その一つは、わが国の藍生産の孤塁を守っている徳島県出身の坂東京子による藍染ドレスデザインの推進である。ついでやがて浜松から、一流近代工業染色をマスターしたキャリアを持ちながら、草木染に参入してきた草木木綿花染工房の池谷昭三が登場した。草木染の持っている染色の不安定性を克服する彼の新技術に共鳴した、イタリア・コモのジュセッペ・メンタの要請で、その新装置がコモに設置されるという国際的な広がりが、この動きのなかから生まれてきた。シオンテックの菱川恵介は、その池谷の方法に共鳴して、草木染の世界に踏み込んできたのだった。
シオンテックとは、草木染技法の研究開発を推進しながら、発注者の要望に応えて試染めを行い、本生産は提携関係にある各染色企業に委ねるという、草木染の研究機関なのだが、研究を推進するなかで彼は、昔の草木染をそのまま追求することは、自分たちの任務ではないという結論に到達せざるを得なかった。1反を染めるのに時には百回も染めるといったことは、美術工芸としてはともかく、現代のビジネスニーズには到底適応できない。その代わり草木染には、現代染色には原則として存在しない別のメリットが存在する。それをこそ追求すべきだというのである。
それは健康を守り促進するという機能である。そのような薬効のための草木染は、中国の漢方、インドのアユールヴェータ、ギリシャ医学に始まり、現在に続いている。ヨーロッパでは、18世紀のドイツに生まれたサミュエル・ハーネマンによって創始されたホメオパシーが、いわばヨーロッパ漢方とでもいうべきもので、シオンテックはそこからも草木染の材料を見出している。このように色を楽しみながら同時に健康増進に役立てることが、現代における草木染の存在理由だという結論にシオンテックは到達した。このような効能のために発生する若干のコストアップは、消費者にとって許容できるものではないか。
古典に学びながら開発を進めた結果、現在シオンテックは百数十種の漢方薬染料を含み、現在6百色の草木染料を保有するに至っている。そのなかには茶の成分のカテキンがあり、風邪薬の漢方である葛根湯もある。マイナスイオンを発する土や石の粉末も、重要な染料である。トルマリン、麦飯石、マグタイト、宙(そら)石などの石も魅力的であり、現にシオンテックは、石の粉末染料で20種もの特許を申請している。
研究開発が進むにつれて、ファッション、寝具関連など、通販を含む業界との取り組みは着実に広がってきているようだ。たとえば寝具関連では表の布も内綿も黄土染で染める。、さらに薬効別に8種を染め分けたアイピローのなかには ローズや麻の実などの薬効成分を入れてある、さらには幼児のための抱き枕などなど。ファッションではたとえばオゾン・コミュニティのTシャツ、ジャケット、ドレス。裏原宿のブティックが、竹炭で染めたカジュアルを3ヶ月で8千メートル売り、そら石で染めたブルゾンを、38000円の高値にも関わらず2千枚を完売したという。こうしたことは草木染が着実にヤングファッションに浸透し始めたことを感じさせる。草木染は健康を守り、命を染めている。(toppageへ)